日本催眠心理研究所(代々木心理オフィス)は、東京都渋谷区代々木にあります心理相談の専門機関です。当研究所では、まずカウンセリングでじっくりとあなたのお話を聴きかせていただき、あなたのお悩みにあった方法を、あなたとご一緒に実践して参ります。不安なこと、気になること、どんな些細なことでもお気軽におたずね下さい。
当研究所の前身、日本催眠医学研究所は、医療催眠の草分けである医学博士森定一(もりさだかず)先生が昭和29年に設立され、亡くなられる平成10年11月まで、心理療法のメッカとして世に貢献してまいりました。
先生は、薬や注射では治りにくい"こころの病"に対する精神医学的・心理学的研究の中で「医療催眠法」の体系を作りあげ、「日本臨床催眠医学研究会」を設立、見世物的「催眠術」とは一線を画すものとして、各学会方面からも承認されてきました。また、荻窪にある「医療心理学院」の初代理事長も務められ、医学に於ける心理療法の有用性を実践から証明されました。
当研究所は、森先生亡き後も その治療理念を受け継ぎ、更に発展させるべく開設されました。
「催眠」の研究を通して、まだまだ未知なるものとしての人間理解を深め、"こころの時代"の受け皿となることが私たちの使命と考えております。
まだ開設されて間もない当所ですが、臨床事例1万数千例のベテランスタッフが一対一の個人指導をいたします。もちろん秘密、プライバシーは厳守いたします。
戦後の復興から高度成長期、そしてバブル経済期に至るまで、ここ数十年の間に日本の経済は目まぐるしい発展を遂げ、わたしたちは物質的な豊かさや恩恵を手に入れてきました。それと同時に、各分野の科学の進歩、発達によってより便利に、より合理的に暮らすことができるようになってきました。
しかし、そのような外的な豊かさを追い求めた結果、わたしたちは自然を破壊し、人と人とのつながりを希薄にし、大事なもの、すなわち内的な豊かさを見失ってきてしまいました。そして、人類始まって以来の社会的変化の中で、多くの人たちは方向性を失い、もがき苦しんでいるようにも見えます。
企業も家族も、そして個人も、これまでの伝統的な地域社会や家族形態の崩壊の中で自分自身を見失い、どう生きたら良いのか、何の為に生きるべきなのかが分からなくなってしまっているようです。あらゆる規範が緩まり、自由を獲得したかに見える一方で、画一化、システム化された価値観や環境の中で、「何かが足りない」と感じる人が益々増えてきているように思われます。
そんな時代的背景であるからこそ、いつの間にか切り捨てられてきたひとの『こころ』を考え、一人ひとりの『こころ』と真剣にかかわることが大切だと私たちは考えます。「人間」という字は「人」の「間」と書きます。わたしたち人間は、ひとりひとりが「個」であるのと同時に、他の人や環境との「関係性」の中に生きる生き物であると言えましょう。その関係の中で、人は知らず知らずのうちにストレスが溜まり、病気になったり、逆に癒され健康を取り戻したりするものです。
1962年 茨城県生まれ
中央大学卒
公認心理師(国家資格)
元日本医療心理学院講師
日本催眠臨床研究会理事
日本催眠応用医学会副会長
対話型カウンセリングAI研究プロジェクト参加
【テレビ番組】
たけしの万物創世記
NHK首都圏ニュース
TBS報道特集 等に出演。
【著書】
1日5分 元気になる催眠セラピー(中経出版)
そしてウツは消えた(宝島社新書)監修
私は大学生のころは経済学部生でした。当時の男の子は「経済や法学を学ばないと飯食えないぞ」って言われていた時代でした。心理学を学んでいる男性は少なく、ほとんど女性が学んでいる学問でした。
実は私の祖父は学者で、父親も学者家系で育ち、学者への道を歩まされていました。ただ、当時の学者は名誉職ではあるが貧乏で、それを見ていた父親はサラリーマンになり「サラリーマンは安定していて良いぞ」とよく言っていました。なので、父親からはサラリーマンになりなさいと言われ育ちました。
ただ私も社会に入っていくために、良いゼミに入って、良いところに就職するという流れに乗っていくことが怖くて....でも社会に出ていかなくてはいけない。
でもどうやって社会に出ていけば良いのか?このままサラリーマンを目指して良いのか?そんな悶々とした気持ちをもっていました。
そんな時に、カウンセリング・精神分析・催眠療法を行っていた森先生と出会いました。
私は大学生時代に20種類くらいのアルバイトを経験しました。
というのも、世の中にはたくさん仕事があるのに、あの人はなぜあんなにも大変そうな仕事を選んでいるのだろう?あの仕事のどこが一体楽しいのだろう?とさまざまな仕事に対しての疑問をもっていたのです。
一度気になったら確かめなくてはならない性分である私は、気になる仕事は片っ端から経験しました。
そこで感じたのは、1人1人の事情や理由があって、その仕事や人生を選んでいるということです。
今まで自分の想像の中だけでしか考えられなかったことが、人それぞれの様々な事情や価値観を知ることで、客観的に物事をみることができるようになりました。
ここでの経験は今のカウンセリングに大きく影響しています。
さまざまな経験やたくさんな人を見て触れ合ってきからこそ、自分の固定概念を取り払うことができ、患者さんとフラットに接することができていると感じています。
母親の病気がきっかけで、森先生と出会ったことで催眠療法の道に進むことになりました。
私の母は当時の病名で「心臓神経症」という病気でした。
心臓が頻脈をおこして苦しくなり、チアノーゼや吐き気を起こしてしまうという症状が現れる、現代のパニック障害に似ている病気です。
毎日救急車で運ばれ、点滴をして帰ってきて、また次の日も同じように救急車で運ばれる。そんな状態でした。
病院では「それは性格の問題だから駄目だね」と「気持ちの問題だね」など、批判や避難をされることばかりで、治療という治療は行われず、回復の兆しがありませんでした。
そんな時に母親の弟である叔父に、「東京に森先生という、薬を使わないで、催眠とかカウンセリングで母親のような病気を治している人がいる。一度騙されたと思って行ってみてくれないか?」と言われ、森先生に診療をしてもらうことになりました。
すると、毎日運ばれていたのが、3日1度、1週間に1度、1か月に一度とみるみるうちに回復していきました。
いったいどんなことをしているのだろう?どんな人なのだろう?と興味をもち、母親の治療の付き添いで行ったのがきっかけで、初めて森先生に出会いました。
何度か母の付き添いで通ううちに森先生から「お宅の息子さん、私に預けてみませんか?」と言われ、森先生の勧めで 森先生が理事長を務めていた 荻窪にある日本医療心理学院に通わせてもらい、精神分析や心理療法の勉強をし、心理カウンセラーとしての道がスタートしました。
大学を卒業してからは・森先生が設立した日本催眠医学研究所で働いていました。
そこではカウンセリング・精神分析・催眠療法だけではなく仕事の向き合い方などさまざまこと教えていただきました。
森先生が亡くなられる直前に、最後の内弟子である私に「俺が死んだあとは大変だろうけど、1年は通っていた患者さんを見てくれ」という遺言を残されたので、森先生が亡くなられた後も日本催眠医学研究所で働きつづけました。
その後、進退を考えていなかった私は、半年間は休養しようかと思っていました。しかし患者さん達から「復帰してください」という声を多くいただいて、患者さんたちから後押しされる形で、森先生の意思を継ぎ、日本催眠心理研究所(代々木心理オフィス)を設立し、現在の場所に開業しました。
よくこんな質問を頂きます。
「生きるか死ぬかの悩みで来ている人がいる中で私なんかが行っても良いですか?」
「こんな悩みを相談したら迷惑になりませんか?」
悩みに重い、軽いはありません。他と比べなくても良いんです。
自分が辛いと感じたら、それは辛いこと。
自分が不安と感じたら、それは不安だということ。
どんなご相談でも迷惑になることなんてありません。
「先生のおかげで」って言葉を頂くのですが、私からしたら「患者さんたちのおかげ」で今の私があります。
皆さんが今その状態にあるということには、そうなる事情や理由があると思います。
だからこそ私はどんな言葉にも耳を傾けます。
どんなお悩みでも構いません。まずは私にあなたのことを教えてください。