猪瀬東京都知事の政治献金疑惑、
有名飲食店のメニュー改ざん問題、
恋愛の拗れからのストーカー殺人事件…
昨今新聞の紙面やTVの報道番組を賑わすニュースを見ていると、
ある共通するものに気付かされます。
それは、
今まで「闇」の世界に在りながら均衡を保っていた‘何か’に「光」が当たり、
今までのバランスの保ち方では済まなくなって来ている…ということです。
これが時代の要請というものなのでしょうか。
それは心理臨床の現場でも同じです。
例えば
熟年離婚問題。
ある日突然、今まで長年連れ添って来た妻から離婚を突きつけられる。
何が起こったか呑み込めず、右往左往する夫。
正に青天の霹靂の状態で我々カウンセラーを訪ねて来られる訳です。
一昔前なら、
「恥は墓場まで持って行くもの」
「恥をさらすくらいなら死んだ方がマシ」
という日本人的発想で、
夫に対する不平不満は無意識という「闇」に葬られ、
意識という「光」の世界に上って来ることはありませんでした。
その「闇」に「光」が当たった時、
如何に自分は夫に不満を募らせて来たのか…
そしてそれに堪え、自分の人生を犠牲にしてまで尽くして、
我慢し続けて生きて来てしまったことに気付いてしまったのです。
もちろんその事自体に、良い悪いの判断を直ぐに下してしまうことは出来ません。
ただ光と闇の均衡が崩れた時、光だけの世界が現れるのではなく、
そこにはまた何らかの闇の世界が現れることだけは知っておかなければならないような気がします。
バブル時代を知る人が貧困に耐えられなくなる、
とても素敵なパートナーとの出会いがあるから、その別れもまたとてつもなく辛くなる…
それらもまた光と闇のバランスでしょう。
闇を嫌い、光だけを探し求め続ける危険性を自覚し、その両方を併せ持つ度量を身につけたいものです。